6. 生活習慣とアンチ・ドーピング:ドーピングと心身の健康

メンタルトレーニングという言葉を聞いたことがあると思います。スポーツの世界で心を整えて強い精神力を持つことも勝利に必要なことです。その反面、心のバランスが傾いた時にドーピングが起こりやすくなります。今回は「気持ち」についてのお話です。

医学部 内山 真

 リクレーションとしてスポーツを楽しむ人は多いと思います。身体活動が楽しく爽快だから、健康に良いと思うから、仲間と交流できるからとその理由はさまざまです。さらに、そのスポーツに熱中するようになると、リクレーションであっても練習をして技能が伸びること自体が大きな楽しみになってきます。

アスリートが、日夜努力しスポーツに打ち込むのは、技能を伸ばしたい、運動能力を高めたい、限界に挑戦して精神を鍛えたいなど、広い意味で自ら成長したいという気持ちがあるからです。そして、スポーツ観戦者がアスリートの活躍に感動するのは、繰り広げられるすばらしい技能に加え、そのためのアスリートの努力や精進に思いをはせるからです。

さらに、競技スポーツについては、自分を高めたい気持ちに加えて、相手に勝ちたい気持ちや相手と競い合う楽しみが魅力として加わります。ここがリクレーション参加と競技参加の大きな違いです。アスリートはこうした達成感を求めて厳しい練習に立ち向かいます。さらに、観戦する私たちも、アスリートとともに勝利を共有したいと期待します。こうした応援がアスリートの勝利を求める気持ちをさらに高めることになります。

競技スポーツで、競争に勝つために身体能力や精神力薬物を使用して高めようとする行為をドーピングと呼びます。ドーピングが行われると、本来健康を促進するためのスポーツが、選手の健康を損なうものになります。目的のために手段を選ばないという考え方は社会的にも悪影響となり、心身の健康増進というスポーツの根源的価値を失わせることになります。

このため、ドーピングはアマチュアスポーツにおいてもちろん、プロスポーツにおいても禁止され、防止のための厳重な検査が行われています。しかし、現実には競技会のたびドーピングは話題になっています。アスリートに倫理観が欠如しているのでしょうか、サポートするチームの管理体制や、周囲の過大な期待などがアスリートへの圧力になっているのでしょうか。

競技会では、競争の公正性を保つため検査によってドーピングを確実に発見し、競技から排除することが行なわれています。さらに、より根本的な予防対策をとして、スポーツの精神の大切さを改めて啓発することが行われてきました。これらに加えて、私はドーピングが起こる心の仕組みの理解を広げることが重要と思います。

そもそも、競技においてアスリートの心に勝ちたいという強い気持ちが起こることは当然のことです。アスリートが勝利に対する強い気持ちを持って競いあうのが競技スポーツのすばらしい魅力です。このために、明確なルールがあり、競技会ではこれを守ってフェアプレイの精神に則って競争することが求められます。

ルールに則って競うなかで自分の力を存分に発揮することは、当たり前の様に思えますが、アスリート自身には大変なことで、大きなプレッシャーを伴います。身体能力に卓越した若いアスリートにとっても精神的にはきつい状況なのです。応援してくれる人のことを考えるとさらにプレッシャーが募るでしょう。そして、このような状況ではだれも競争相手を制することを最優先する思考が強くなってくるのです。

ドーピングの起こる背景には、この「勝つことしか考えられない」という心の状態があります。このことが、私たち誰にでも起こりうることを理解しておくことが大切です。アスリートやアスリートを取り巻く人達はもとより、私たち一般人も、アスリートになったつもりで考え方の変化を体験的に理解するのが良いと思います。このためには、ロールプレイを用いた研修や教育が役立つと思います。心の健康に関わる専門家が中心になれば、システムづくりは容易です。

アスリート自身の鍛錬に加え、アスリートに取り巻く人達は、食事を含む総合的な強化訓練計画を考えます。総合的強化訓練における食事選択とドーピングの境界が曖昧になってきていることを知っておく必要があります。食品に含まれる特定成分を増強する技術など発達している現在、食物から摂取した成分と薬剤として投与した成分を厳密に分けることが困難です。蛋白質摂取を増やして筋の強化を図る場合、例えば肉中心の食事にするレベルでは問題ありません。

アミノ酸や蛋白質のサプリメントによる補強がどこまで食事と見なされるのでしょうか。鉄含有食品を集中的に食べてることは良いが、鉄剤服用はどうなのか。こうした問題に関する科学的コンセンサスを作っていくため、栄養学、薬学、医学を含む広い意味でのスポーツ生理学についてまとめ、アスリートやその強化に関わる人が学習する機会を増やしていくことが重要になります。ここでは身体の健康に関わる専門家の出番です。

アンチ・ドーピング教育には、これが誰にでも起こりうる心のメカニズムであることを啓発する心の健康科学、総合的トレーニングにおける食事を含めた生理学的理解を促進する身体の健康科学を含めたものにしていくことが重要であることを述べました。